この恋は幸せになれない?好きになってしまったのは、奥さんのいる人。(第3話)
【これまでのあらすじ】
綾香と離婚したいと言う伊野さん。無自覚にシングルを見下す綾香には良い薬になるだろうと、千紗は伊野さんにアドバイスをすることに。
離婚の件で話がしたいと会っていた伊野さんと別れ、駅に向かっていたところ、誰かに後ろから肩を掴まれ…
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この恋は幸せになれない?好きになってしまったのは、奥さんのいる人。(第2話)
やましいことはない
「おい」
乱暴に肩を掴まれ振り返ると、マッチングアプリで知り合った男性が立っていた。何度も「また会おう」と、しつこく言ってきた例の人だ。
「お前、俺のことブロックしただろ」
「そっちがしつこいからでしょ」
「ふざけんな、さっきの男は誰だよ!」
まさか、私を付けていたの? いつから? 男の執念深さにぞっとする。
「おい、答えろよ。さっきの男は何なんだよ」
「あんたに関係ないでしょ」
「こいつ!」
殴られる……そう思って目を閉じたけど、予測した衝撃が襲ってこない。ゆっくり目を開けると、帰ったはずの伊野さんが男の腕を掴んでいた。
「何してるんですか? 警察呼びますよ」
「お前……さっき、こいつと一緒にいた奴だな。どういう関係だよ」
「失礼な人ですね」
不愉快そうに眉をひそめた伊野さんは、おもむろの私の肩を抱き寄せた。
「彼女の恋人です」
え……? 思わず伊野さんの顔を見上げると、「ね?」って目で合図を送られる。そうか、なるほど。
「そう、この人は私の彼氏よ」
「なっ、何だよ、彼氏がいたのかよ」
「分かったなら、もう付きまとわないで」
「言われなくても、嘘つき女なんかこっちから願い下げだ」
男はそう言うと、毒づきながら帰って行った。男が完全に見えなくなってから、伊野さんが短い溜息を落す。
「行きましたね」
「ええ……あの、ありがとうございます」
「いえ、諦めてくれて良かったです……あっ、すみません」
伊野さんは慌てて、私の肩に回していた腕を下ろした。
「助かりました。でも、どうして戻って来たんですか? 帰ったはずでは?」
「あ、それはですね……」
言いにくそうに頭を搔く。
「夕食を一緒にどうかと思いまして」
「え?」
「あ、いや……今日は綾香の両親が家に来ているので。帰りたくないんです」
そう訴える伊野さんは、捨てられた子犬のような目をしていた。
「いいですよ、予定もないですし」
「本当ですか! 良かった」
「さっき助けてもらったお礼です」
夕食時とあって近くのレストランはどこもいっぱいで、仕方なく少し離れたダイニングバーに入った。創作料理とそれに合ったお酒が楽しめるお店らしい。
「藤川さん、お酒は?」
「好きです」
「よかった、僕も好きなんです」
「食べ物の好き嫌いあります?」
「魚介類はちょっと……。生臭くなければ食べられるんですけど」
「分かります、私もです」
伊野さんとは不思議なくらい好みが合い、美味しいお酒と共に会話が弾んだ。ラストオーダーの時間になり、名残惜しく感じる自分がいる。
「今日は本当によく喋りました」
「私もです」
「藤川さん、来週も会ってくれますか?」
「え?」
「あ、その、離婚の相談をしたいので」
「いいですよ」
相談を受けるために会うだけ。やましいことはない。そうだよね?
◆
私の母
ターミナル駅から徒歩5分のところにある私の家は、交通の便こそ良いものの築数が古くて狭いワンルーム。どうせ寝るためだけに帰るんだから、これと言って不満は感じていない。
だけど、数年に1度、早ければ半年に1度の頻度でやって来るXデーだけは、部屋数のある家にすれば良かったと後悔する。
「お帰り~千紗! 久しぶりね」
「お母さん、来てたんだ」
「母親が娘に会いに来て何が悪いの?」
別に私に会いたかったわけじゃないでしょ、と、喉元まで出てきた言葉を飲み込む。これを言ってしまったら喧嘩になるだけだ。
「2,3日、世話になるから」
「はいはい」
「何よ、その言い方。もっと歓迎しなさいよ」
「してるよ。お腹空いてない? 何か作ろうか?」
「適当に食べたから要らない。それより、千紗にお願いがあるんだけど」
「何?」
「お金貸してくれない? 家賃代の7万、いや5万でいいからお願い!」
またか……。私に会いに来る時は、いつもそう。分かっていても今回は違うかもと思ってしまう自分にガッカリする。
「言っとくけど、5万なんてすぐに出せる金額じゃないからね」
「よく言うよ、正社員のくせに」
「独り暮らしは何かとお金がかかるの。お母さんだって分かってるでしょ」
「そうね、お金の苦しさは分かっているわよ。あんたを育てるのに私がどれだけ苦労したか」
「またその話?」
昔っから、何かというと自分の苦労話。そんなに大変だったなら、施設の前に捨ててくれれば良かったのに。
「育ててもらった恩を忘れて口答えするんじゃないよ」
「いい加減にしてよ! 恩を売るために、私を産んで育てたの!?」
「その通りだよ、悪い?じゃなきゃ子供なんて邪魔なだけだよ!」
売り言葉に買い言葉。母の本心でないことは分かっていても傷つく。いや、もはや本心なのかもしれない。こんな人でも親は親だと耐えてきたけど、もう限界かも……。
◆
この人に癒されたい
「すみません、遅くなりました」
カフェバーで待ち合わせをしていた伊野さんは、私の顔を見るなり頭を下げた。
「大丈夫ですよ」
「相談のお願いをした側が遅れるなんて、申し訳ない」
律儀な人だなぁ。尚も申し訳なさそうにする伊野さんに座るよう促し、メニューを渡す。彼は私が飲んでいるものを聞いた後、「同じものを」と、注文した。ほどなくして、ブラッディー・マリーが運ばれてくる。
「先日は助かりました。お陰で綾香の両親に会わずに済みました」
「良かったです」
綾香の親は、とても過保護なんだと彼女から聞いたことがある。だから綾香を心配して、旦那を注意しに来たのだろう。
いい年をして親にチクる綾香もどうかと思うけど、親も親だ。だけど、いつだって味方になってくれる親がいて羨ましい。私の母なんて……。
「何かありましたか?」
突然、伊野さんがそう尋ねた。
「え?」
「今日はとても浮かない顔をしていますよ」
「いえ、特には……」
「話してください。いつも僕の話を聞いてもらっているんだから聞きますよ」
「伊野さんの話を聞くために会ってるんだから、私のことはいいんです」
「よくありません」
真剣な瞳に見つめられて、心がざわつく。誰かに愚痴りたい、聞いて欲しい、そんな心の声を読まれたような気がした。
「僕の相談は今度にして、今日は藤川さんの話をしてください」
「でも、」
「じゃぁ、こうしましょう」
伊野さんはそう言って、店員さんを呼んだ。
「今日はとことん飲みませんか? そうすれば話しやすいし、僕も聞きやすい。そして何より……」
「何より?」
「明日になったら2人とも覚えていない」
フッと、思わず吹き出してしまった。伊野さんってやっぱり面白い人だなぁ。お酒の力もあり、私は母とのことを伊野さんに話した。お金の無心をされることや、この前、喧嘩した時に言われたこと。それから話は子供時代のことまで遡る。
「母はシングルマザーだったんですけど、いわゆる恋多き女性で常に彼氏がいました」
「そうですか」
伊野さんは優しく相槌を打ってくれる。
「でも長続きしないんです。いつも最後は男に裏切られて捨てられて、その度に泣いてヒステリーを起こして」
「親のそんな姿を見るのは辛いですね」
「はい……。だから、私は本気で人を好きになったりしない、恋人は作らないと決めました。母のようにはなりたくないので」
「お母さんと同じようになるとは限りませんよ」
そうかもしれない。だけど……、
「本当は怖いんです。きっと私は恋愛に向いていない」
「ずっと傷ついたままなんですね」
「傷……?」
「藤川さんは傷つけられたんですよ、お母さんを通して、お母さんを捨てた男たちに」
「そんな自覚は全然……」
「自覚がないから傷を癒すことなく大人になってしまったんでしょう」
ふと、伊野さんの手が私の手に触れた。ドキドキするのは、お酒のせい……?
「僕が傷を癒してあげましょうか?」
「え……」
「僕でよければ、ですけど」
器用なのか不器用なのか、よく分からない口説き方。だけど、伊野さんの声が優しくて、眼差しが温かくて、この人に癒されたいと思ってしまった。
「癒してください」
「じゃぁ、2人っきりになれる場所へ行きましょうか」
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