この恋は幸せになれない?好きになってしまったのは、奥さんのいる人。(第2話)
【これまでのあらすじ】
友達の綾香に依頼され、綾香の旦那である伊野さんの浮気調査を開始した千紗は、伊野さんが女とホテルに入るところをあっさりと押さえられ拍子抜けする。
しかし伊野さんは綾香が浮気調査を依頼することを分かっていてわざと尾行させていた…
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この恋は幸せになれない?好きになってしまったのは、奥さんのいる人。(第1話)
切実な願い
「綾香と離婚したいんです。僕に協力してくれませんか?」
「えっと……」
唐突なお願いに驚いてしまい、何も言葉が出てこない。これまでいくつもの不倫調査を担当したけど、対象者からこんなお願いをされたのは初めてだ。
「変なことを言ってすみません」
「いえ……びっくりしちゃいましたけど。あの、離婚したいというのは、」
「本気です」
「そうですか。それなら綾香と話し合ってください」
「それが可能なら、あなたにお願いしません」
懇願するような瞳で私を見つめる綾香の旦那は、「歩きながら話しませんか?」と駅の方を指さした。変なことになってしまったなぁ……。だけど、ホテル街で立ち話を続けるわけにもいかず承諾した。
「あの、さっきの女性は?」
「もう帰ったと思いますよ。ホテルに入るところまで同行する約束でしたから」
「わざと尾行できるようにって言ってましたけど、浮気の証拠を私に撮らせるつもりだったんですか?」
「そんなところです。でも、ホテルに入っただけじゃ証拠にならないですよね」
確かに、ホテルに入っただけじゃ証拠として弱い。相手の具合が悪くなり休憩していただけとか、言い逃れができるからだ。
「私が伊野さんの調査してるかどうか試したんですね」
「試すようなことをしてすみません。綾香がどこまで本気で依頼をしたのか分からなかったので」
「クライアントの情報は漏らしませんよ」
「あなたが調査に失敗したことも、内密にするんですか?」
私を脅す気……?思わず綾香の旦那を睨み付けると、彼は眉尻を下げて泣きそうな顔をした。
「それだけ切実なんです」
「そう言われても、困ります」
「調査はこのまま続けてください。ただ、僕が気付いていることだけは綾香に黙ってて欲しい」
「それで、どうするんですか?」
「その先については……」
駅に近づくにつれ、人の行き交いが増えていく。正面から酔っ払いの団体が歩いてきてぶつかりそうになった瞬間、肩を引き寄せられた。
「大丈夫ですか?」
「ええ、はい」
「ノープランです」
え?眉をひそめた私に、綾香の旦那はもう1度「ノープランです」と言い、困ったように笑った。
◆
痛い女
「友達に依頼された件、どうだった?」
職場での休憩中、雑談をしていたカウンセラーの赤城(あかぎ)さんが、ふと思いついたように聞いてきた。40代半ばの彼女は聞き上手の癒し系で、つい何でも話したくなる雰囲気を持っている。
「うーん、何か変なことになりそうなんですよね」
「変なこと?」
「実は……」
と、言いかけて口を噤んだ。対象者に尾行がバレたなんて所長の耳に入ったら、怒られる。やっぱり何でもないです、と誤魔化したところでスマホが震えた。
「あ、メールだ」
「困ったことになったらいつでも相談してね」
「ありがとうございます」
赤城さんが席を立つのを待ってからスマホの画面を覗くと、登録しているマッチングアプリにダイレクトメールが届いていた。相手は……先日会った男。
【この前は、どうも。また会おう】
本当に、しつこい。2度と会わないって何度言えば分かるの?もういいや、うざいからブロックしちゃおう。ついでにマッチングアプリも退会しようかな。
飽きちゃったし。そんなことを考えながら何気なくSNSアプリを開くと、綾香の投稿が目に入った。豪華な食事の写真と、水色の箱に入った指輪の写真。
添えてある文字には、「皆様にご報告」から始まり、「結婚5周年を迎えました」と続き、その後は旦那への感謝が綴られていた。
「うわ~何か痛いな」
不意に頭上から声が聞こえて顔を上げると、渋い顔をして私のスマホを覗き込む仲西さんが立っていた。
「女って何でこんなのをわざわざ載せるの?」
「さぁ、知らないし」
「旦那への感謝なんて、直接口で言えよ」
機嫌悪いなぁ。奥さんと喧嘩でもした?何に対してイライラしてるのか知らないけど、その意見には全くの同意。
◆
無自覚マウンティング
平日のお昼。ランチをしながら話そうと綾香を誘い、事務所近くのカフェに入った。
「どうだった、何か分かったぁ?」
友達なら包み隠さず全て話して調査を中止するべきなんだろう。だけど、夫婦の間にどんな行き違いがあって関係がこじれてしまったのか、綾香の旦那は何を望んでいるのか、離婚を切り出された綾香はどうするのか?
好奇心をそそられて、もう少し調べたいという気持ちを抑えられない。
「まだ調査中」
「そうなんだぁ」
「綾香の方は? 何か怪しいと思うことがあった?」
えー、どうかなぁって、頬に左手を当てる。薬指のダイヤモンドリングがキラリと光った。
「その指輪って」
「ん? あぁ、これぇ? 旦那くんからのプレゼント」
「へぇ……」
「前にチラッと指輪が欲しいって言ったのを覚えていたみたい。こういうことしてくれるとぉ、疑っちゃって悪いなって思っちゃうよねぇ」
「じゃぁ、旦那さんのこと信じてあげれば?」
「それができたら苦労しないよぉ」
わざとらしく唇を尖らせた綾香は、「独身の千紗には分からないか」と呟いた。その言い方が癇に障った。
「どういう意味?」
「だって、そうでしょうぉ。結婚して家庭を守ってる女の気持ちなんて、分からないよねぇ?」
「分からないけど、それと旦那を信じる云々の話は別だよね」
「ほら、すぐそうやって論破しようとするー。そんなんだから千紗は、まともな彼氏ができないんだよぉ」
目の前のおしぼりを投げてやろうかと思った。思い込みの持論を並べて、私のことを見下している。無自覚なんだろうけど、むかつくっ!
◆
面白い人
「すみません、こんな場所に来てもらって」
「いいえ、こちらこそ無理を言って」
綾香の旦那こと、伊野さんから「先日の件で話がしたい」と連絡がきたのは、日曜日の夕方だった。その頃、私はお見合いパーティーに参加していたので、会場であるホテルまで来てもらった。ロビーで落ち合って、カフェに移動する。
「パーティーには、よく参加するんですか?」
「今回が初めてです。話のネタになるかと思って」
冗談で言ったのに、伊野さんは感心したように頷く。
「何事も経験をしておくのは良い事ですね。好奇心は猫をも殺すと言いますが、経験と知識は人生を豊かにしますから」
「それ、うちの所長も言ってました」
「ケビン・エドラーの名言です。僕は本で読みました」
「そうなんですか? じゃぁ所長も同じ本を読んだのかも」
「あと、こういう名言もあって……」
伊野さんの話は、ミステリ小説のように引き寄せる力があって面白い。他愛のない雑談は、2杯目のコーヒーが無くなる頃まで続いた。
「もうこんな時間か。すみません、本題ではない話をだらだらとしてしまって」
「いえ、興味深かったです」
「僕たち気が合うかもしれないですね」
伊野さんはそう言って笑った後、思い直したかのように「すみません」と謝った。
「失礼ですよね。でも……こんなに話しが弾む相手は久しぶりなので」
「綾香とは話さないんですか?」
「話しどころか、最近は顔も合わせていません」
「避けているそうですね」
「もう、うんざりしているんです。嫉妬深くて束縛が強いし、気に入らないことがあるとすぐ泣き喚いて実家に帰ると言うし、話し合おうとしても言葉がまるで通じない」
最後のは、分かる気がする。綾香って住んでいる世界が人と違うというか、常識が通じないところがあるのよね。
「離婚の意思は固いんですね」
「ええ、それはもう」
「でもだからといって浮気をしたら、自分が不利になるだけですよ」
「ですよね……」
「離婚する方法ならいくつかあります。焦らないでじっくり考えましょう」
「それって協力してくれるってことですか!?」
「アドバイスをするだけです」
それくらいなら、良いよね。離婚を突き付けられた綾香がどうするかは分からないけど、世間知らずのお嬢様には良い薬になるはず。シングル女性の生き難さを思い知れば良い。
伊野さんとはホテルのエントランスで別れ、駅を目指す。何だかんだ今日は楽しい1日だったな……。そんなことを考えていると――。
「おい」
不意に後ろから肩を掴まれた。
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この恋は幸せになれない?好きになってしまったのは、奥さんのいる人。(第3話)
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