理想じゃない恋のはじめ方。(第8話)
【これまでのあらすじ】
新実と大和の間で揺れる汐里だったが、大和のことが好きになったかもと思い始める。
そんな中、汐里の部署が荒らされるという事件が起き、犯人が雪村さんだと発覚。それだけではなく、汐里の家に空き巣が入るように仕向けたのも彼女だった…
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理想じゃない恋のはじめ方。(第7話)
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理想じゃない恋のはじめ方。(第1話)
恨まれていた理由
「汐里の家に空き巣が入るよう仕向けたのも、この女だ」
雪村さんが? どういうこと?困惑すると同時に、空き巣被害にあった時のことが頭の中で蘇って体が震える。取り逃がした犯人の姿、左腕の痛み――――。
「本当に雪村さんがやったの?」
「わっ、私は……」
泣きながら声をつまらせる雪村さんは、縋るように新実さんを見る。けれど、新実さんは厳しい顔をしたまま彼女を睨みつけた。
「いい加減、その嘘泣きをやめろ」
低く響く声に、冷たい言い方。普段、新実さんがどんな風に彼女と接していたかは知らないけど、少なくとも婚約者に向けるような表情ではない。
雪村さんもそれに気付いたようで、すっと表情を変えた。私が仕事復帰した日、自動販売機の前で見せたあの悪魔のような表情だ。
「そうよ、私が人を雇って高杉さんの家を荒らすように指示したの」
「自分のやったことが分かってるのか!? 汐里は怪我をしたんだぞ」
「あれは事故よ! ちょっと脅かすつもりだったのに、この女が反撃するから」
あくまで人のせいにするつもりなんだね。さすがにここまでくると、恨まれていた理由が気になった。
「どうしてそんなことを?」
「だってむかつくんだもん。あんたばっかりみんなにチヤホヤされて」
「チヤホヤって……」
「私はこれまでいつだって1番だったの。高校でも大学でも前の職場でも、みんなの中心にいたのは私!」
「……」
「それなのに、ここではみんながあんたを頼って大事にしてる。あんたばっかり良い思いをして、許せなかったの!」
良い思いばかり? そんなわけないじゃない。辛いことも大変なことも乗り越えて、今の自分を築き上げたの。
そんなことも知らないで、自分勝手な怒りをぶつけてくるなんて呆れてしまう。あまりに幼稚な理由に言葉を失っていると、新実さんが口を開いた。
「そんなくだらない理由で、俺に近づいたのか?」
「くだらないって、酷い!」
「俺と汐里を引き離して、満足したか」
「ええ、満足よ。お陰でこの女の悔しそうな顔を見ることができたもの」
「最低だな」
「そういう新実さんだって、美味しい条件につられて私と婚約したくせに!」
「お前がこんな女だと知っていたら婚約なんかしなかった」
新実さんの言葉に、雪村さんはとてもショックを受けたような顔をした。その表情を見て、「あ」と、心の中で呟く。彼女は本気で新実さんのことが好きだったんだ。私を恨んでいた本当の理由は、きっとこっちだったんだね……。
「とにかく婚約は破棄だ」
「い、今さらそんなこと許されないわ。婚約破棄なんて伯父が黙っていない」
「降格でもクビでも好きにしろ。犯罪者と結婚するよりマシだ」
新実さんはそう言い放つと、私の腕を掴み会議室を後にした。
◆
失って初めて気が付いた
「良かったんですか? あんなことを言って」
屋上で煙草を吸っている新実さんに問いかけると、彼は「あんなこと?」と首を傾げた。
「降格でもクビでもって」
「あぁ、あれか」
まさか私情で社員をクビにしたりしないと思うけど、降格は覚悟した方が良いかもしれない。出世第一でここまでやってきた人が、こんなことで躓いてしまうなんて……。
「常務には事前に話しておいた」
「えっ、そうなんですか」
「警察に突き出さない代わりに、この件については一切触れない、だってさ」
さすが、新実さん。彼はいつも用意周到だ。
「でも、汐里がどうしても許せないと思うなら警察に言えばいい。証拠も渡す」
新実さんはそう言うと、ポケットからボイスレコーダーを取り出した。どうする? って、目だけで問いかけてくる。雪村さんとの会話を録音していたんだ……。
「いいです、もう。犯人が分かったところで、蒸し返すのは精神的に疲れますし」
それに雪村さんは、この件で大きなものを失った。何もしなければ今頃、新実さんの隣で幸せな結婚生活をスタートさせることができたはずなのに。
だけど、同情はしない。彼女の気持ちを、新実さんに伝えてあげたりもしない。自分で蒔いた種は、自分で回収しないと。
「汐里」
煙草の火を消した新実さんが、改まったように私の名前を呼んだ。それから体を真っすぐこちらに向けて頭を下げる。
「身勝手なことをして悪かった」
昔、仕事でミスをした時に、新実さんから「謝るのも勇気」だと教えられた。素直に自分の非を認めて、心から詫びること。
そうすることで、周りから信用を得ることができる、と。これを聞いた時、なんて素敵な人なんだと思った。尊敬していた。
「この前、アルフィルで言ったことも反省している。あの言い方では、汐里を傷つけるだけだった」
「新実さん……」
「でも、あれは本心だ。俺にとって汐里がどれだけ特別な存在だったか、失って初めて気付いた」
「気付くのが遅いです」
だって、私は、もう……。
「もう1回だけチャンスをくれないか」
左右に首を振る。
「頼む。もう後悔したくないんだ。返事は今すぐじゃなくていいから、今後の行動を見ていてくれ」
再び、深く頭を下げられる。その姿を見て何も言えなくなってしまった。
◆
嬉しい知らせ
「高杉さん、どうぞー」
診察室のドアが開き、看護師さんに名前を呼ばれた。返事をして中に入ると、ドクターの席に大和が座っている。
「え、あれ? 今日外来だったの?」
「急遽、代わることになったんだ。どうぞ、座って」
「あ、うん」
うわぁ、何か変な感じ。こういった形で大和の診察を受けるのは、救急車で運ばれたあの日以来かな。
決して避けていたわけじゃないけど、大和が外来勤務の日は通院しないようにしていた。いや、避けていたかな。だって、何となく恥ずかしいし。
「骨は順調にくっ付いてきているよ」
「ほんと?」
「うん、そろそろリハビリの回数も減らしていいね」
「ボルトを外すのは、どれくらいになりそう?」
「経過を見ながらになるけど、早くて半年かな」
他に質問はない?って、優しく聞いてくれる。改めて大和は良いお医者さんだなぁって思う。そう感心していると、パソコンに何か打ち込んでいた大和がメモを渡してきた。看護師さんは、少し離れた場所で作業をしていて気が付いていない。
【今日は早く帰れるから、ご飯行こう】
背中が大きくV字に開いたペプラムトップスは、狙いすぎかな?清潔感のあるレースのワンピースは、若作りしてるみたいで痛いし……。大和との待ち合わせまで、あと30分。
迷いに迷って、結局普段とあまり変わらない服装で行くことにした。マンションを出て、少し歩いたところで電話がかかってくる。大和かと思いきや……新実さん。
「はい」
『今、出先か?』
「そうですけど……」
◆
口にしてはいけない言葉
「大和!」
「しおちゃん? どうしたの、そんなに慌てて」
「聞いて、プロジェクトチームに戻れることになったの!」
「そうなんだ、良かったじゃん!」
新実さんからの電話は、その件だった。残念ながらリーダーは私の同期が続行することになるけど、チームに戻れるだけでも嬉しい。
「頑張ってやってきた結果だね。おめでとう」
「ありがとう」
プロジェクトチームに戻れたのは、雪村さんの件だけではなく。同僚たちからの「高杉さんをチームに戻して欲しい」との要望が多かったからだとか。腐らず自分にできることをやってきて良かった。
「じゃぁ、今度の週末に改めてお祝いしよう」
もっとお洒落な店でさ、と、大和が小声で言う。その直後、周りのテーブルから「おおおおお」という野太い声が響いた。スポーツ観戦ができるダイニングバー。こういうお店は初めてだから新鮮で良いけどな。
「週末は出張なの」
「そうなんだ」
「うん、1泊なんだけどね」
「1人で?」
「まさか、上司と一緒」
「上司って、この前、スーパーの帰りに会った人?」
頷くと、大和の表情が強張った。
「カッコ良い人だったよね」
「やめてよ、そんなの考えたことない」
「本当? 今まで1度も?」
うっ、と言葉に詰まる。そんな私の様子を見て、大和なりにピンとくるものがあったらしい。
「もしかしてだけど、しおちゃんの元カレってその上司……?」
言うつもりはなかったけど、聞かれたら嘘を吐けない。
「そうだよ」
「だったら尚更、一緒に出張なんてダメだよ」
「勘違いしないでよ、これはあくまで仕事だから」
「仕事でも、良い気はしないよ」
その言い方にカチンとくる。
「出張なんてこれまで何度も行ってるし、公私混同はしないよ」
「そんなの分かんないだろ」
大和はそう言うと、ふいっと顔をそむけた。その態度に苛立ってしまった私は、
「大和には関係ないでしょ、干渉しないでよ」
言ってはいけない言葉を口にしてしまった。
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理想じゃない恋のはじめ方。(第9話)
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