理想じゃない恋のはじめ方。(第7話)
【これまでのあらすじ】
汐里は大和の真っ直ぐな告白を受けて、ちゃんと向き合うことを決めた。
しかしある日の就業後、家にある汐里の私物を返したいと言う新実さんと、付き合っていた時2人でよく行ったBARで会うことになり、「愛しているのは汐里だけだ」と言われて動揺してしまう…
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理想じゃない恋のはじめ方。(第6話)
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理想じゃない恋のはじめ方。(第1話)
事件
――――ピピピピピ
目覚まし時計が鳴っているけど、体が動かない。もう今日はこのまま寝ていようかな。
仕事もサボって、ダラダラしていたい。いっそ休職届を出して、しばらくゆっくりしようかな。旅行して、美味しい物を食べて、辛いことや悩ましいことを全部忘れて……。
『愛しているのは、汐里だけだ』
不意に、頭の中で新実さんの言葉がリプレイされた。
『しおちゃん、帰ろ』
同時に大和の笑顔も浮かんでくる。本当、何をやっているんだろう。大和と向き合うって決めたのに、新実さんの言葉に揺らいだりして。
「(私って、こんなに情けないやつだった?)」
自責の念や罪悪感で胸が苦しい。そんな自分とベッドの中で闘っていると、スマホに着信が入った。スクリーンには旭日の名前が表示されている。
「もしもし、旭日? 私、今日はちょっと……」
『先輩、大変です!』
「え、何が? どうしたの?」
『と、とにかく、すぐ来てください!』
一体、何がどうしたのか。旭日は相当慌てている様子で、全く状況が伝わってこない。仕方がないのでタクシーを呼んで、会社へ向かうことにした。今日は休もうと思っていたのになぁ……。
会社に着いて部署の入り口まで行くと、旭日と数人の同僚たちが困ったような表情で立っていた。
「旭日!」
「先輩……」
何があったの?と、尋ねる前に、その惨状が目に入ってきた。同僚たちのデスクがめちゃくちゃに荒らされているのだ。その中でも私のデスクが1番酷く、カラースプレーのようなものを噴射された跡もあった。
「何これ……」
「私たちが出社した時には、もうこうなってて」
「とにかく片づけよう。無くなってるものが無いかチェックして」
「はい」
一体誰がこんなことを……。悪戯? 嫌がらせ? 心当たりはなくもない。だけど、まさかここまで酷いことはしないよね。
それとなく雪村さんの方に視線を向けると、彼女は泣きそうな顔をしながらデスクの片付けをしていた。その顔に嘘はないように見える。そうだよね、考え過ぎだよね……。
「片付けはちょっと待て。現状を写真に撮っておけ」
いつの間にか出社していた新実さんが雪村さんの腕を掴み、彼女に指示を出した。
「私がですか?」
「それくらいできるだろ」
新実さんはそう言うと、渋い顔をしてどこかへ行った。
◆
会いたい
【ごめん、今日の約束、無理になっちゃった】
【何かあった?】
【会社でちょっと……。残業になると思う】
【分かった。仕事が終わったら連絡して】
了解、と。大和へのメールを打ち終えた私は、再び仕事に取りかかった。今朝の部署荒らし事件で紛失した書類の作成や破損データの復元作業など、やることは山積みだ。お陰で余計なことを考えなくて済むけど、体力的にキツイ。
――ピコン、
大和からスタンプが届いた。シュールな顔をしたゴリラがバナナを持って「がんばれ」と応援してくれている。いかにも大和らしくて、心が和んだ。
「……会いたいなぁ」
思わず、口から本音が零れて自分でも驚く。大和に会いたい。会って話を聞いて欲しい。大変だったねって労って欲しい。
そんな自分の心の声を認めてしまった瞬間、大和に会いたい気持ちが倍増した。時計を見ると、夜の21時。まだ仕事は完全に片付いていないけど、残りは明日にすればいい。
「ごめん旭日、私もう帰るね」
「了解です! 私たちももう少ししたら帰ります。お疲れさまでした!」
急いで帰り支度をして会社を後にする。駅に向かう途中、スマホで大和の電話を何度かコールしたけど、なぜだか出てくれず。何とも言えない不安が押し寄せてきた。
【仕事終わったけど、今から会えないかな?】
【大和ー? もう寝ちゃった?】
既読も付かない。仕事が終わったら連絡してって言っていたくせに。どうしよう、何かあったのかな? 緊急の手術が入ったとか?
それならそれでいいけど、連絡が付かないのは不安だ。居ても立っても居られなくなった私は、大和が住むマンションへ向かった。
◆
好きになったかも……?
マンションに着くのと同時に、1台のタクシーがやって来てエントランスの前で停まった。暗くて良く見えないけど、あのシルエットは……。
「大和!」
「あれ、しおちゃん。どうしたの?」
「どうしたのはこっちのセリフよ、電話も出ないで」
「あ、電話した? ごめんごめん。ちょっと立て込んでて」
立て込んでて、って何よ。聞き返そうとしたところで、停車してるタクシーから小さな男の子も降りて来た。5、6歳かな? 不安そうな顔をして大和の服の裾を掴んでいる。
「この子は?」
「同じマンションの子なんだけど、怪我しちゃって。病院に連れて行ってたんだ」
男の子をよく見ると、足首に包帯が巻かれている。
「ご両親か保護者はいないの?」
「それが共働きみたいでさ。お母さんはさっき病院で合流したけど、どうしても仕事に戻らなきゃいけないって言うから……」
「それで大和が連れて帰ったんだ」
「うん、もうちょっとしたらお父さんが家に帰ってくるって」
だから大丈夫だよ、って大和は男の子の頭を撫でる。そっか病院にいたから電話に出られなかったんだね……。優しいなぁ、大和は。
「たける!」
マンションのエントランスへ入ろうとしたところで、後方から走って来た男性が男の子の名前を呼んだ。
その声に反応した男の子は「お父さん!」と大声で叫び、男性の元に駆け寄り抱きつく。男の子のお父さんは大和に何度も深々と頭を下げ、家へと帰って行った。
「よかったね、お父さんが早く帰って来てくれて」
「そうだね、安心したよ」
「たけるくんだっけ、普段から仲良いの?」
「いや、喋ったのは今日が初めてかな。時々1人で遊んでいるのは見かけていたけど」
「まだあんなに小さいのに1人で留守番してたのかな?」
「うん……まぁ、事情はあるんだろうけど。これを機に考えてくれるといいね」
そう言った大和は、とても心配そうな顔をしている。
他人であっても親身になって世話をやいたり、困っている人がいれば助けてあげたり。そんな彼の優しい人柄に感心すると同時に、胸がキュンとした。
「ところで、しおちゃんはどうしてここに来たの? 何かあった?」
「あっ、えーと……」
「もしかして、俺が電話に出ないから心配してくれたとか?」
「そんなわけないでしょ」
図星なだけに気恥ずかしくなって、背中を向ける。顔が熱い。大和に会いたくなって来たなんて、言えるわけが……。
「かわいいなぁ。すっごく会いたかったから来てくれて嬉しい」
後ろから抱きしめられた。その瞬間、心臓があり得ないくらいドキドキして体温が上昇するのが分かった。私、大和のことを好きになっちゃった、かも……?
◆
事件の犯人
「作業、終わりました! プロジェクトのデータも大丈夫です」
「あぁ~良かった、お疲れ様」
例の部署荒らし事件で紛失したデータの復元や書類の再作成作業が終わり、同僚たちに笑顔が戻る。労いの気持ちを込めて差し入れの飲み物を配っていると、1つ余ることに気が付いた。
「あれ、誰か今日休み?」
「雪村さんが居ません」
旭日がそう答えると、他の同僚が不満を漏らした。
「この大変な時によく休めるよね」
「昨日も定時で上がってましたよ。あの子、大変な時はすぐサボるんだから」
これは良くない雰囲気だな。注意しようかと思案していたところで、新実さんがやって来た。彼は同僚たちを一瞥してから、私に向かって手招きをする。
「ちょっといいか」
新実さんは私に有無を言わせない態度で、そのまま会議室へと向かった。何だろう? 怒っているのか、明らかに機嫌が悪そう。ドアを開けて中に入ると、雪村さんが泣き腫らした顔で立っていた。
「あれ、今日は休みじゃ……」
「俺がここから出るなと言った」
「それは、どういう、」
「昨日の犯人は彼女だ」
あぁ……、やっぱりと言うべきか。まさかそこまでという気持ちが混同する。嗚咽を漏らす彼女に冷たい視線を送った新実さんは、さらに吐き捨てるようにこう言った。
「それだけじゃない。汐里の家に空き巣が入るよう仕向けたのも、この女だ」
「――えっ」
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理想じゃない恋のはじめ方。(第8話)
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